Ikuzoの再評価とJ Hip-Hopの憂鬱 | 天の声にも変な声がある

Ikuzoの再評価とJ Hip-Hopの憂鬱

幾三

宇多田ヒカル、Perfume、電気グルーヴ・・・・。そんなJ-popシーンの先端に近いミュージシャン達が、YouTubeやニコニコ動画に於いて相次いでMC Ikuzoをfeaturingした作品を発表している。

おらTravelingさ行ぐだ 宇多田ヒカル
http://jp.youtube.com/watch?v=qe1nm8djs2g
ポリ幾三 Perfume
http://jp.youtube.com/watch?v=hsMDIWDwgiI
【モノノケダンス・俺ら東京さ行ぐだ】 電気グルーヴ
http://jp.youtube.com/watch?v=GpT8X6nGDyk

ビジネスとしてアリかナシかは別として、僕は純粋な音楽的意味において安易なfeaturingを嫌悪している。例えば和田アキ子をfeaturingして金魚のフンのように紅白歌合戦にまで進出したm-floのビジネスモデルに何ら意義を見出せないのである。
しかし、昨今のIkuzo再評価の機運はそうではないように感じている。Ikuzoを再評価している彼らに共通点があるとすれば、シーンに於いていわゆるavax的なマーケティングによる「メインストリーム」から外れた、どこかアウトサイダーな存在である点ではないだろうか。そして、それはそのまま、小泉構造改革に耐えるべき痛みとされた地方と言う名のアウトサイダーと重ね合わせる事ができるかも知れない。彼らがIkuzoをリスペクトする隠れた真意は、実はそこにあるのではないかと筆者は踏んでいるのだが・・・。

それはさておきIkuzoが歌い上げる『俺らこんな村嫌だ』と田舎を絶対的に嫌悪しながら、染み付いたなまりとは縁が切れないどうしようもない葛藤。『都会に出たい』と切望しながら『牛を飼う』と言う展望しか描けない苦悩。電気のない世界で理想郷の光として想い憧れたギラついたネオンが、そう長い時間を待たずに薄汚れた歌舞伎町の現実である事を思い知るであろう若者の哀しい未来を想う時、Ikuzoがリズムやファッションと言った表面的なスタイルではなく、差別や無学、貧困の苦悩から自然発生的に生まれたRapと言う音楽表現の本質的な思想を、抉り取るようにして日本に持ち込んだ事が分かる。
それだけではない。Ikuzoは日本土着の演歌と融合させて最初から高度な形でJ-Rapを完成させてしまったのである。見ようによってはこれは非常に罪な仕事である。Hip-Hopを発見したつもりのJ-ラッパー達が、後に何をしようともIkuzoのフォローアーとしての存在でしかないと言う自分を知り、屈辱を背負う事になるのである。それを知ってか知らずか、Ikuzoはその後『吉幾三』として演歌の活動に専念してしまう。クールと言ってしまえばクールではある。
IkuzoはRapシーンに無関心だった。J Hip-Hopの側もIkuzoをタブーとした。
20年以上、彼らの間ではそんな冷戦構造が続いていたのだ。
今回のIkuzoの再評価活動は融和ではなく冷戦構造の破壊である。それを本来的にアウトサイダーであるべきミュージシャンがなし得た事は特筆に価する。これから何が起るのか、誰にも想像はできまい。ただ一つ私に言える事があるとすれば、一度崩されたベルリンの壁は、もはや再構築できないと言う事実だけである。
このような稚文を書いている私の元に、スパイスガールズが再結成されその第一弾シングルとしてIkuzoをfeaturingすると言うビッグニュースが入ってきた。

【WANNABE】スパイスガールズvs吉幾三【俺ら東京さ行ぐだ】
http://jp.youtube.com/watch?v=NDfCCvuHN3A

日本語とRapの相性がいい事は、俳句を持ち出すまでもなく歴然たる事実である。また、かの松尾芭蕉が自らの集大成を求めてみちのくを訪ね歩いたのも偶然ではあるまい。
ワールドワイドなミュージックシーンに於いてIkuzoが発見されるのも時間の問題なのであろう。

とりあえずはIkuzo自身が自らを解釈し直したと言うオーケストラとの共演を見守りたい。
http://jp.youtube.com/watch?v=H0LT6ilt5I8